「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」で世界遺産登録を目指す熊本県荒尾市の万田坑

「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界文化遺産への登録を目指す、国内7県にまたがる産業遺跡群。9エリア、30資産で構成されるこの遺跡群は、幕末以降の日本の急速な近代化に大きく寄与したとされる産業・文化の軌跡を物語る貴重な遺産とされているそうです。日本の近代化を支えたのは大きく分けて「総合産業としての造船」「素材産業としての製鉄・鉄鋼」「エネルギー源として両産業を支えた石炭産業」としたときに、それぞれの分野において当時最先端の技術により日本の発展に貢献した鉱山、工場、造船所などが含まれています。単体で有名なのは、「軍艦島」の名で有名な長崎造船所(現 三菱重工業)の「端島炭坑」や、福岡県北九州市にある旧官営八幡製鐵所(現 新日鉄住金)の各施設、長崎県の「旧 グラバー邸」あたりでしょうか。

この有名どころの「軍艦島」や「旧グラバー邸」などは、それ単体で世界遺産に登録されてもいいのではないかとか、いやそれほどでもないのかな、とか素人の僕はいろいろ考えてしまうのですが、つまりこの「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」には、「軍艦島」のような遺産や遺跡が30個も含まれるわけです。南は鹿児島から北は岩手まで、7つの県にまたがる9つのエリアには、それぞれのストーリーがあります。例えば「エリア1:萩の工業化初期の時代の関連資産と徳川時代の文化背景 (山口県)」とか、「エリア5:三菱造船所施設、炭坑の島、その他関連資産(長崎県)」とか、「エリア7:三池炭鉱、鉄道、港湾(福岡県・熊本県)」といった具合です。いったいなぜこんな大規模な遺跡群に発展したのかちょっと不思議な気もします。例えば最初に軍艦島あたりが手を挙げて、「じゃ、オレも!」「え? じゃ、オレも入れてよ」みたいな流れで雪ダルマ式に対象地域が増えて行ったような過程が何となく想像できます。

ちょっと調べてみるとこれは「シリアル・ノミネーション」という登録方法だそうです。近年ユネスコの世界遺産登録へのハードルはちょっと上がってきているそうですが、この「シリアル・ノミネーション」という形だと、地理的な連続性がなくても歴史的・文化的背景やその評価基準が一致していれば、一緒に登録できるということで、つまりはそれ単体だと「ちょっと登録はハードルが高いかな。」という遺産や遺跡でも、力を合わせて登録を目指すことができるようです。これまでは「家族単位・家族単位でしか応募不可」だった大会に、「友達同士、いやこの際、知り合いであればいいや!」みたいなことでしょうか。ユネスコの狙いとしては、世界遺産の地理的・特徴的な偏りを解消することがひとつのようで、一方登録を目指す側としては、上記のように登録を目指しやすくなるというメリットがあります。「国あたり年に3件まで」という推薦枠のルールを考えても、「シリアル・ノミネーション」であれば実質何件でもチャレンジできますね。この制度をうまく利用したようです。

さてそんな「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」ですが、そのうちのひとつとなる、熊本県荒尾市の万田坑。「エリア7:三池炭鉱、鉄道、港湾(福岡県・熊本県)」のうちの1施設として、世界文化遺産登録を目指しています。三池炭坑の歴史は古く、江戸時代中期に石炭採掘が始まったとされています。明治時代には官営の炭坑となり、明治後期になるとその販路を一手に受けていた三井財閥が経営権を買い取ります。三井鉱山による近代化・合理化が進められ、その生産量と規模を拡大していった三池炭坑は、日本の近代化をエネルギーの面から支えました。熊本県荒尾市の万田坑は、そんな三池炭坑の三つある坑口の内のひとつです。

私はこの「万田坑」に、何度か行ったことがあります。「明治日本の産業革命遺産」の30件のうち、私はこの「万田坑」しか見たことがありません。だから他の施設と比べて何がどう良いのかということは分からないのですが、この場所の「放ったらかし具合」が大好きです。写真を何枚か。

第二竪坑巻揚機室の外観。

正面入口からすぐ左のところにある、第二竪坑巻揚機室。レンガ造りの建物とその脇に、「産業遺産」を強くアピールする無骨な鉄塔が目をひきます。これは巻揚機と言って、炭坑に入る労働者達を運ぶエレベーターです。この鉄塔だけは、新しく塗り直したんだそう。

巻揚室の中。

巻揚室の中です。むき出しの機械類が所狭しと配置されています。「天空の城ラピュタ」の冒頭で、パズーが巻揚機を使って鉱夫を地上にあげるシーンがありますが、あれとおんなじです。操作台もあります。

巻揚機の車輪。

巻揚機の車輪です。直径3mはありそうな巻揚機の大車輪。これが動く様子を見てみてみたかったですね。

坑夫が使っていた浴室。

炭坑で働く人の浴室。1日炭坑で汗を流した坑夫さんが使う浴室です。桶や洗濯板、石けん入れまでそのまま残っています。

石炭を運ぶトロッコ列車の車両。

石炭を運ぶトロッコ列車の車両。大人3人ほどが乗れる大きさの貨物車料。トロッコ列車の路線は同じく世界遺産登録を目指す三池港まで続いており、路線も含めての推薦になっています。

隣接する整備工場。

炭坑で使う機械類・鉄道のメンテナンスや、鉱夫が使う道具類の保全を行った整備工場には、道具箱や看板・標識までそのままになっていました。

廃墟好きにはたまらない場所です。産出量の減少や石炭エネルギーの需要の低下に伴い、少しずつにぎわいを失って行ったこの万田坑が閉鎖されたのは1951年。それから一部の坑道や設備は、安全管理の観点から保全されて来たそうですが、今残っている設備の多くは、閉鎖されたときのままになっているような風で、時とともに風化していったまさに「廃墟」の雰囲気満点の場所になりました。もしこれが今後、観光地として綺麗に整備されてしまったら、この廃墟感というか、当時の様子をあれこれ想像させるような空気感は失われてしまうのかもしれません。そうなる前にぜひ、360度VRでデジタルアーカイブしておいたらどうかと思うのですが、いかがでしょうか。

若干の年代差こそあれ、この万田坑と同じような施設や設備が名を連ねているとしたら、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」は「廃墟マニア」にはたまらない部類の「世界遺産」かもしれません。